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母親なんてのも幻想、家族制度は18世紀に近代国家が成立して徴兵制と税金のために作ったもので、それまでは家族なんてどこの国もいい加減なものだった。 母性本能は完全に壊れている。だから家族なんかに必死にしがみつかないでもっと楽になろうよ。という非常に優しい視点で持って書かれた本だと思います。 「母親幻想」などという題名を聞くとショッキングなものに聞こえますが、内容は無理に家族に固執するつらさから開放される親と子のための本です。この本を読むとこれまでの家族についての考えが音を立てて壊れていきます。しかしそれはいいことだと思います。この本を読んだ人はいったん家族というものが壊れたあと、もう一度自分が信じるものに従って自分の家族像を作ることになります。 岸田氏は支配的な母を恨んでいますが「母も苦しんでいたんだ」ということに気付いた事は感動を覚えます。時代の流れて家族像がめまぐるしく変わっていくというのが意外だった。今の「家族みんな仲良く」なんて人類が始まってからずーっとあるものだと思ってたけどつい最近にできたものだったんですね 教育制度を語った「文部省無用論」も良い。文部省が独りで全部決めないでそれぞれの教育者が自分の信じる教育をやればいい、というのはもっともです。
02.
「母親は自分の子供を愛して育てるものである」という幻想が、長らく「文化」として人々を規制してきた。母性愛は、実は自己愛の延長に過ぎないことが多いという。かつては親子の縁など薄いものだったが、それが近代国家になって、徴兵制と税金の問題から、どうしても「家族」という幻想が必要になる。そこで家族という幻想が発明される。幻想にがんじがらめになっている人には、ガツンと一発の書だろうが、違和感を感じている人にとっては救いの書でもある。 文体は平明だが、言っていることはかなり過激だ。学校でイジメの問題が起きたりすると、教師などの目配りがゆき届いていないと批判が集中する。「しかし、わたしに言わせるならば、その批判はまったく逆です。問題の原因は学校側のゆき過ぎた秩序に収斂するのですから、むしろ教師の注意や目配りがゆき届き過ぎることを、マスコミは批判すべきなのです」。 岸田秀の文章のうまさの一つは、その卓抜な例のあげかただろうか。たとえば、日本では、生徒が非行を犯したりすると教師が非難される。これは日本の教育に、人は段階を追って成長するものだという「成長の思想」が入ってきたためだという。「自動車教習所には、成長の思想はありません。そこは純粋に運転の技術だけを学ぶ場所です。技術を学んだものが、学んでいないものよりも成長しているとか、大人であるとか言いません。」こんなふうに説得されれば、なるほどと思う。 もう一例。戦後民主主義教育は、英雄や人格者をモデルとして教え込むことをやめた。モデルなし、すなわち理想像なし人格教育は、「匿名の脅迫者みたいです。そのような期待に応えようかと誰が思うでしょうか」。「匿名の脅迫者」にザブトン一枚、と言いたくなる。 これらエッセイのすべては、「人間は本能が壊れた動物である」という岸田秀独自の唯幻論から導き出されている。「母性愛は自己愛の延長」「父性本能は存在しない」「性の根本的問題は母親にある」。いや、そうではない、と思った人は、ひとつぜひこの本で、その見事な説得に、楯突いてみてください。
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